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制作秘話

1970年、堀内護(マーク)を中心人物として、日高富明(トミー)、大野真澄(ボーカル)の3名によりフォークロックバンドGARO(ガロ)結成。かまやつひろし(現・ムッシュかまやつ)のバックバンドを経て、実力派バンドとして1971年にデビュー。優れた作曲センス、三声コーラスによる斬新なハーモニー、高度なギターテクニックで熱心な音楽ファンからの人気を集めたが、1973年には「学生街の喫茶店」、「ロマンス」の大ヒットにより国民的な大人気グループとなる。ところが、本人たちの目指す音楽性とは異なるアイドル・歌謡的な売れ方にメンバー同士の意見の食い違いが顕著になり、1976年3月、神田共立講堂での『解散コンサート』を最後にGAROはその歴史の幕を閉じた。
その後、それぞれの音楽の道を歩み出した三人であったが、あおい輝彦「あなただけを」のヒットにより音楽ディレクターとして成功、現在もシンガーとして活動を続ける大野(ボーカル)とは対照的に、マークは音楽の道を歩まず、実業家に転身。ロック・ミュージシャンとしてバンド活動を精力的に続けた日高(トミー)は1986年に自宅マンションから転落。帰らぬ人となった。
時は経ち2010年、再び音楽家としての道を歩み始めたマークは、都内のライブハウスで演奏を再開する。当初はGARO時代のセルフカバーや洋楽カバーが中心であったが、黙々と書き貯めた新曲はいつしか20曲以上になっていた。
2011年、レコード会社と共に新譜の制作をスタートしたマークは、作詞家・松井五郎と共に三曲の新曲を書き下ろした。「アビーロードの青い空」、「虹色のラベンダー」、「ガラスの涙はもういらない」と名付けられた三曲は、GARO時代の面影そのままの名曲に仕上がり、天才と呼ばれたギタープレイもGARO時代と変わらぬ輝きを放っていた。
何もかもが順調と思われたレコーディングの最中、マークが背中の痛みを訴え突然の入院。一命は取り留めたものの病状は想像以上に深刻なもので、半年以上の入院生活を終えた頃には左手に麻痺が残り、以前のようにギターを弾くことは困難になってしまった。
それでもなお、若い世代に向けてGAROのサウンドを伝え残して行きたいと強い使命感を感じたマークは、「まだ死ぬわけにはいかない」と、リハビリと共にレコーディングを再開。かつての盟友達と再び手を取り合い、40年の時を超えて再びGAROのハーモニーを響かせる。


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